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紹介
友田塾の指導法
立体化教育
序章 立体化教育とは

1 <生きること>と<学ぶこと>を結びつけること
   知育、徳育、体育をバランスよ~く実践すること

2 学ぶことによって、人間的に成長すること(成長)
   理解できていなかったものを理解すること(理解)
   理解できないものがあることを知ること(謙虚)

3 平面的な知識を<立体的な知識>にすること
   表面的な学習では「役に立たない知識」を、 実践と想像力によって<生きた知識>にすること

■ 例えば、ほとんど試験のためにしか勉強 していなかった英語を、異文化交流の機会 に少しでも使える状態にまで、鍛えること

4 個別から始まって、普遍へ至り、普遍から 戻ってきて、また個別のことを見直すこと

■ 例えば、自分のすんでいる町のこと~ 神戸市のこと~兵庫県のこと~関西のこ と~日本のこと~アジアのこと~世界の こと(地球のこと)~太陽系のこと~ 銀河系のこと~宇宙のこと~

■■ 銀河系のことから太陽系のこと~地球 のこと(世界のこと)~アジアのこと~ 日本 のこと~関西のこと~兵庫県のこと~ 神戸 のこと~自分の住んでいる町のこと‥‥ これをくり返すこと

5 いろんな形の学習法

■ 「教師→生徒」「生徒←→生徒」 「生徒→先生」「一斉授業」「個別 授業」「講義形式」「対話形式」「デ ィベート形式」「室内授業」「野外授 業」「街中での授業」「田んぼの中で の授業」「森の中での授業」

■■「習熟度別授業」「複数学年同居授業」 「単発的授業」「継続的授業」「教科担任 制の授業」「学外の講師による授業」「歩 きながらの授業」「目かくしをしての授業」 「口を使わない授業」

6 教えることはたくさんある

■ 道と途中(おいしいもののあるところ、 楽しい気分になるところ、危険なところ)、 地形の特徴、天気の特徴、農作物、植物、 動物(へび、かえる、いのしし、しか、 くま、ねずみ、もぐら、とり、さかな、 ねこ、いぬ……)

■■ 水と空気、長さと広さ、深さと高さ、 速さと時間、 いろんな連絡方法、いろん な家、いろんな建物、 コンビ二とスーパ ー、本屋さんとビデオ・ショップ、 映画 館と図書館、ラーメン屋さんとうどん屋さん、

■■■ いろんな店、いろんな工場、いろんな 会社、交番と警察署、郵便局と銀行、幼稚園 と保育所、いろんな学校、バス停と駅、一般 道路と高速道路、

■■■■ 役所、JA、政治と経済、産業、貿易、 いろんな言語、いろんな歴史、いろんな文化、 いろんな宗教、いろんな音楽、いろんな美術、 いろんな文学、

■■■■■ 自然のしくみ、太陽と お月さん、星、 天の川、病気と怪我、医院と病院……

7 らせん型学習方法

らせん階段を上っていくように、何度か学習 していくうちにだんだん高くなっていく

8 表現の根拠・背景を問うこと

漢字の成り立ち、結論に至るプロセス、なぜ そういう答になるのかということ、他人の気 持ち、筆者の考え、事件の背景

9 筋道の通った考え方が

複雑な問題を解決していくときに必要

10 筆者が目の前にいるようにすること

音読はそのひとつの方法

第2章 算数・数学の立体化

1 なぜ数字を使うか……を考えることは大切である。

❶ 例えば、大きいとか小さいとかいっても比較するもの によっては、たいして大きくなかったり、たいして小さ くなかったりすることがある。

❷ その他にも、私達の身の回りには、長い短い、重い軽い、 深い浅い、強い弱い、早い遅い、速い遅い、明るい暗い、 高い安い……主観的な形容詞で表現していることがたくさん ある。

❸ あるところを基準にすることによって、「数量の伝達」 や「客観的な比較」ができるわけだ。複数の人が生活してい る場(社会)で、数字というものは使い方によっては、とても 便利なものである。

❹ もちろん使い方によっては、悪魔のようなものになること もある。「勉強なんか何の役にも立たん」などという一見真実 を言い当てたようなことばは、何らかの気持ちを言いたいとき のせりふとして発せられるのであろうが、ことばの真実からは ずいぶんとかけ離れている。

❺ 特に算数・数学を教える側の者は、この数字を学ぶ意義を しっかり踏まえておかなければ、自らの仕事が意識の内で空回 りしてしまう。

❻ 数字を使うことは<立体化>の逆のように感じるかもしれ ない。けれども数字を使わずに主観的な表現をしているのは一面 的な見方のままであって、数字を使うことによって、少なくとも 二面的な見方をしているといえる。

❼ すなわち、他者と交流するときに使われる数字というものは、 他者との了解を前提にして成り立つものである。この前提を理解し ているのと理解していないのとでは、通じる話も通じないというこ とになってしまう。

2 数字がひとり歩きしないように

■ 例えば、4kmと3時間を足したら7だというのは、 意味がない。1時間につき4kmのペースで3時間だ ったら、それなら掛け算をして、12kmだという答え には意味がある。そんな掛け算はあちこちの場面で使 っている。

3 整数は特別な節目の数字にすぎない

■ 数直線をイメージしてもらったらわかると思うが、 数というものはずーっと続いているものなのだ。 音楽でいうと、音というものは低い音から高い音まで、 ずーっと続いていて、ドレミファソラシドはいくつかの 節目にある音というわけだ。

4 ものごとや関係を表す式には変域がある……当たり前の話

■ 例えば、お風呂に水を入れるとき、ある時間が経過すれば、 それ以上は水は溜まらない。ろうそくが燃えるとき、ある時間 が経過すれば、それ以上は燃えない。それ以上燃えたら、火事 になってしまう。

第3章 音楽の立体化

1 「音を楽しむ」で音楽

どんな音を聴いて楽しいと思うかは、人によって さまざまである。だから、自分がどんな音を聴いて 楽しくなるかを知っておくとよい。ただ、若いうち に偏った分野だけでなく、いろんな分野のすばらし い演奏を聴いておけば、長い将来にいろんな音を楽 しむことができる。いろんな食事をおいしく味わえ るように‥‥‥。   演奏についても同じことがいえるが、自分自身の 演奏を楽しめるようになるまでには、かなりの練習 が必要だ。下手すると「音を楽しむ」ために始めた のが「音で苦しむ」結果になってしまう。

2 曲には、歌詞がつく場合がある

歌詞を理解できなくても曲だけで楽しめる場合も よくある。さらに、その歌詞を理解することがで きれば、立体的に味わえるというわけだ。

ただし、学校の音楽の授業では、ともすると曲の ほうに重点が置かれていることが多い。音楽の先 生に「文学的な味わい方も教えてほしい」という のは、少し無理な注文かも知れない。たいていの 場合、作曲者名と作詞者名は作詞者名が先に書か れている。それにはそれなりの理由があるのだ。

で、もしも私たちが曲を紹介するときには、まず その詞をじっくり読み、その詞を朗読して、それ からメロディをつけて歌ってあげれば、聴く人も しっかり味わえるだろう。

3 曲を聴くとき

 曲をつくった人は、何かを見たり、何かを感じ て、それを曲にまとめるのだ。曲をつくったわけ ではない私たちは、曲を聴いて、その何かを見る ことができるだろうか。それができるようになる ための作業を、私は<音楽の立体化>と呼ぶ。

幅広い知識や創意工夫や直感を駆使して、<音楽 の立体化>ができたときに、曲をつくった人は、 喜びを感じ、自分が曲をつくったことが無意味で なかったと思うだろう。

  パイプオルガンの曲を事情からCDで聴いたこ とのある人はたくさんいるだろう。けれども、でき ることなら教会で聴くのがよい。宗教面のことはと もかくも、教会そのものが楽器なのだから、その楽 器が持ち運びできない以上、聴こうとする人自身が その楽器の中にはいらなければならない。その点で は、パイプオルガンは最も立体的な楽器といえるか も知れない。

第4章 英語の立体化

1 発想の立体化

  自分の家しか知らなかった幼児が、他の子の家を 訪れて自分の家と違うところを見る。そのときに初 めて自分の家の特徴を知ることになる。それと同様 に、日本語しか知らなかった小学生が、中学生にな って外国語を学び、外国語の学習を通して、外国人 の発送~文化を知るようになる。教養ある人間にな るためには、外国語の学習はたいへん重要な意味を もっている。

2 学校英語の不人気

 上述の英語学習の意義を、はたして生徒たち がどれくらい理解できているのか。また、先生 自身がどこまで認識できているのか。そして、 特に英会話に関しては、それなりの訓練が必要 なのだが、その訓練をろくすっぽしていないに もかかわらず「6年間も英語を勉強してきたの に、ちっとも話せないのは、教育が悪い!」と いう人が何と多いことか。

もしも6年間、英会話の練習をしてきた上で、 言うのならその指摘は当たっているが、英会話 をほとんど練習していない人が「なぜ、私は英 会話ができないんだ」と言っても笑われるだけ だろう。

むしろ、学校教育のおかげ(?)で、たいてい の人は英語の基本的な「知識」は、身に付けて いるのだ。それを土台にして、英会話もできる ようにしたらいいだけのこと。机の上だけの勉 強から、生活の場でも使える勉強に<立体化> させよう。

3 方法

使える英語にしたいのなら、まず音声から入る こと。聴いて、話す。話して聴く。私たちが幼 いころから日本語を習得してきたように、たっ ぷりと聞いて、そしてぼちぼち話す。これが大事。

4 楽しむ 英語の歌を英語で楽しむ。英語の映画を英語 で楽しむ。外国人と英語で会話する。きょう 勉強したことがきょう役に立つというのは、 うれしい。勉強すればするほど、よく理解で きるようになり、楽しくなってくる。それが 英語の立体化である。

第5章 歴史の立体化

1 歴史を学ぶということ

例えば、大きな事故があったときに、そこから 何かを学ぶ人たちと何も学ばない人たちとがい たとしたら、どう思いますか。歴史から、学ぶ ものがあるかぎり、それは生きた教材であります。 貴重な教材であります。

歴史を学ぶということは「過去から学ぶ」という ことです。過去から学ばない民族は、同じ不幸を くり返します。

2 歴史を教えるときに

教師は、過去のその場面を再現してみせることが 大切です。その場面を見ている生徒の心が動くよ うな「語り」をすることです。それには、断片的 な知識の披露では、不足です。その事件の本質を 理解していることが前提です。また、その事件の 背景も知っておくことが必要です。

歴史と文学を立体的に語ることができれば、「語り」 が生き生きしてきます。戦前の「軍国主義教育」は、 反省点がたくさんありますが、「語り」を取り入れ た「国史」教育は、当時の子供たちにはかなり強い 印象を与えたようです。

もちろん社会を動かしていくのが、天皇ではないこ とは自明ですが。「生き生きとした授業」という点 では、戦前の「国史」教育の方法に軍配が上がるで しょう。

そのためにも、教師は勉強しなければなりません。 しっかり勉強している教師の「語り」には、耳を 傾けてしまいます。「説得力がある」ということ でしょう。

それに比べて、勉強していない教師の授業ほど、 つまらないものはありません。それは、歴史が つまらないのではなくて、「歴史を語れない教 師」がつまらないだけなのです。

3 例えば「頼朝と義経」

当時の武士たちは、戦で自分の身内を敵にして 戦わなければならないことがよくあった。けれ ども、戦果は天皇・貴族が得るわけで、武士た ちはいわば「使い捨て」同然だった。

源頼朝は、武士のための政権を樹立することが 必要と考えていた。貴族化した平家を倒しても、 後白河法皇の言いなりになっていては以前のまま だという思いがあった。

そういう状況なのに、義経は後白河法皇から位を もらったわけで、確かに「時代を読めていなかっ た」とか「自らが征夷大将軍になる気になった」 とか言われても仕方ないであろう。

義経と弁慶の物語は、それはそれでとてもおもし ろいのだが、天皇・貴族の時代から武士の時代へ 大きく変わっていくという歴史的背景を見ること は、さらに重要だと思う。

4 例えば「15年戦争」

■ 1929年、世界恐慌…各国は経済的打開策を。
■ 1931年、満州事変…日本は中国に侵略を開始。
■ 1932年、5.15事件…満州侵略反対派への攻撃。
■ 1933年、国際連盟脱退
満州事変は「日本の侵略である」が42か国、 「侵略ではない」が1か国。もちろん、それ が日本であり、その決定を不服として、国際 連盟を脱退。国際的な孤立の始まり。

■ 1936年、2.26事件…軍部主導反対派の抹殺。
■ 1937年7月7日、日中戦争
日本の侵略戦争。短期戦で勝つつもりだった のが、長期戦に。中国の人たちに日本に対す る不信感の根底には、この戦争でかなりえげ つないことをしたことは、こころしておくべ きであろう。
■ 1939年9月1日、第2次世界大戦
ドイツ軍がポーランドに電撃的に侵入。 ドイツもユダヤ人虐殺など筆舌に耐え難い ことを行っている。

■ 1941年12月8日、太平洋戦争
東南アジアから資源の豊富なインドに進出 しようとした日本軍を米軍がぼこっぼこに。 相手の強さを客観的に判断することができず、 ハワイの真珠湾を電撃的に攻撃する。 半年後には、きっちり攻勢に転じた米軍は、 日本を叩きつぶす。敗北が決定的な局面であ るにもかかわらず、沖縄戦で約10万人を死な せる。そして、新型原子爆弾が広島、長崎に 投下される。
■ 1945年8月15日、無条件降伏。

(教師は、歴史の事実を語り、生徒たちに 判断させるのが理想形。もちろん、子ども たちの将来のために教師自身はしっかりと 自分の意見をもっていることは大切‥‥‥)

4 歴史の教え方・学び方

古い時代から学ぶだけが歴史の勉強法 ではありません。大事なものの背景を 知るために「歴史をさかのぼっていく」 という方法もあるのです。

とくに「15年戦争」は、歴史の勉強で 最重要です。そこには、これからの日本 の進む道「戦争か平和か」という分岐点 での貴重な教訓があるのです。